2024/01/30

法華寺<重要文化財>

 2024年1月30日 海龍王寺の次に参拝しました。

海龍王寺から歩いて5分ほどで到着しました。

法華寺(ほっけじ)は、奈良市法華寺町にある光明宗の本山の寺院です。本尊は十一面観音で、開基は光明皇后です。奈良時代には日本の総国分尼寺とされていました。

入口になったいる赤門(重文)は、慶長6年(1601年)豊臣秀頼と淀殿により片桐且元を奉行として再建されました。切妻造・本瓦葺の四脚門です。

赤門

入って左にある鐘楼(鐘楼堂:重要文化財)は、慶長7年(1602年)豊臣秀頼と淀殿により片桐且元を奉行として再建されました。鬼瓦に慶長7年の刻銘があり、形式や細部からみてその頃の再興と考えられています。

鐘楼

本堂(重文)は、慶長6年(1601年)豊臣秀頼と淀殿により片桐且元を奉行として再建されました。寄棟造、本瓦葺き。正面7間、側面4間。堂内厨子に本尊・十一面観音像(国宝)を安置しています。高欄の擬宝珠(ぎぼし)に慶長6年の銘があり、当時は「講堂」と呼ばれていたようです。慶長伏見地震の復興事業として建てられたもので、再建にあたっては、地震で倒れた前身建物の2棟の部材が再利用されています。

金堂


浴室(からぶろ、重要有形民俗文化財)は、光明皇后が千人の垢を自ら流したという伝説のある蒸し風呂です。それ以来古例に倣って尼僧ではなく庶民のために使用していたとされています。現存の建物は江戸時代の明和3年(1766年)再建のもので、建造物としてではなく、民俗文化財として国の指定を受けています。

浴室

光月亭(奈良県指定有形文化財)は、奈良市添上郡月ヶ瀬村大字月ヶ瀬にあった旧東谷家住宅を1971年(昭和46年)に移築したものです。
光月亭


お茶のサービスがあったので、縁側で一服させていただきました。

参拝後、新大宮駅から近鉄郡山駅へ行き、郡山城を散策して帰りました。




海龍王寺<国宝>

 2024年1月30日 平城宮の東側を散策しました。

近鉄新大宮駅から歩いて15分ほどで到着しました。
海龍王寺(かいりゅうおうじ)は、奈良市法華寺北町にある真言律宗の寺院です。本尊は十一面観音。光明皇后の皇后宮(藤原不比等の邸宅跡)の北東隅に建てられたことから隅寺(すみでら)とも呼ばれていました。

山門(室町時代建立)


冬なので緑が少ないです

入って正面に西金堂(重文)があります。
奈良時代の建立で、内部に五重小塔(国宝)が安置されています。切妻造、本瓦葺き、正面3間、側面2間の小規模な仏堂です。古代の仏堂で現存するものは、構造的に中心部の「身舎」(もや)と、その周囲の「庇」という2つの部分からなるものが多いですが、この西金堂は「身舎」のみで「庇」にあたる部分がない簡素な建物です。奈良時代の建物ではあるが、鎌倉時代に再建に近い大修理を受けており、奈良時代の部材はその多くが当初位置ではなく、堂内の他の場所に転用されていそうです。ただ創建時より規模や様式的は変更は無いと考えられているようです。

西金堂

安置されている国宝の五重小塔は、相輪を含む総高4.01メートルの小塔ですが、工芸品ではなく「建造物」として国宝に指定されています。当初から屋内に安置されていたそうです。木箱入りの法華経2巻と垂木木口金物2個が国宝の附(つけたり)として指定されています。

五重小塔

久々に国宝を拝観できました。
本堂は奈良市指定有形文化財にしていされており、寛文6年(1666年)再建の和様の建築です。内部には本尊他の仏像が安置されています。

本堂



経蔵(重文)は、寄棟造、本瓦葺の小建物です。鎌倉時代に西大寺の中興の祖・叡尊により造立されたと伝わります。叡尊の年譜(『興正菩薩行実年譜』)に、正応元年(1288年)海龍王寺の堂宇を修造し、経蔵を新築したことが書かれています。

経蔵

参拝を終え、法華寺へ向かいました。

海龍王寺参拝前に、豆腐料理店で昼食を取りました。


鶏そぼろ豆腐丼定食(\900)