2016/08/28

滝山寺・滝山東照宮 <重要文化財>

2016年8月28日 岡崎での最後の立寄り地として参拝しました。

今回は三河の徳川ゆかりの社寺とお城を巡ります。行程は、
  1日目 津島神社⇒西尾城⇒岡崎城⇒六所神社
  2日目 伊賀八幡宮⇒大樹寺⇒滝山寺・滝山東照宮⇒清州城
です。

大樹寺から車で約15分で滝山寺三門(重文)がポツンとあります。
文永四年(1267年)、飛騨権守藤原光延(飛騨の内匠)が建立したもので、三間一戸の壮大な楼門です。柿ぶきの思い切り張り出した大屋根の勾配はゆるやかではないが反転があり、軸部はやや狭小ですが構造形式もよく整い、鎌倉時代の特色である雄建美がある華麗な門です。

三門

滝山寺・滝山東照宮 境内図

三門から数分走って到着しました。車を無料駐車場に止めて参拝します。

滝山東照宮 鳥居

長い石段を登って

本堂(重文)に到着しました。室町時代前期の建立で、寄棟造、檜皮葺きです。

滝山寺(たきさんじ)は天台宗の寺院で、山号は吉祥陀羅尼山。院号は薬樹王院です。

本堂

当日は、地元の方が前日のお祭りの片づけか何かをされているようで、本堂内には入れませんでした。屋根の曲線が美しい優雅な建物です。

本堂裏

滝山寺の横には滝山東照宮があります。
正保元年(1644年)、徳川家光は徳川家康が生まれた岡崎城の近くにも東照宮を観請したいと考え、酒井忠勝、松平正綱らに命じてその場所の選定を行わせた。古跡であり家康もよく訪れていた滝山寺に観請するのが良いということになり、正保3年(1646年)9月17日に創建されました。
滝山東照宮 5棟(本殿、拝殿・幣殿(1棟合)、中門、鳥居、水屋)は正保3年(1646年)の建立で重文です。





さすが東照宮!おもいっきり派手ですねー!





大樹寺 <重要文化財>

2016年8月27日 伊賀八幡宮に続いて参拝しました。

今回は三河の徳川ゆかりの社寺とお城を巡ります。行程は、
  1日目 津島神社⇒西尾城⇒岡崎城⇒六所神社
  2日目 伊賀八幡宮⇒大樹寺⇒滝山寺・滝山東照宮⇒清州城
です。

伊賀八幡宮から車で10分ほどで到着しました。ここも無料駐車場があります。

大樹寺は浄土宗の寺院で、山号は成道山。正式には成道山松安院大樹寺(じょうどうさん しょうあんいん だいじゅじ)と称します。
徳川氏(松平氏)の菩提寺であり、歴代当主の墓や歴代将軍(大樹公)の位牌が安置されています。

まず山門です。寛永18年(1641)三代将軍徳川家光公建立したものです。楼上に後奈良天皇の勅額「大樹寺」(重要文化財)がかかげられています。また釈迦三尊16羅漢を安置しています。。

山門


境内からは先に総門が見え、その総門を通して一直線上に岡崎城を望む事が出来ます。

境内から

大樹寺から岡崎城への眺望が妨げられないよう、直線上にマンション等の高層建築物を建てることはできないそうです。これは徳川家光の命令だそうです。

総門は小学校の校門になっている

境内

本堂

大樹寺に安置されている江戸幕府歴代将軍の位牌は、それぞれ将軍の臨終時の身長と同じという説があります。なお15代将軍慶喜の位牌は大樹寺に置かれていません。これは将軍職を引いた後も存命であったことと、臨終に際し自らを赦免し爵位まで与えた明治天皇に対する恩義から神式で葬られることを遺言したためです。
 1.家康159.0cm
 2.秀忠160.0cm
 3.家光157.0cm
 4.家綱158.0cm
 5.綱吉124.0cm
 6.家宣156.0cm ※増上寺の遺骨改葬時調査による推定身長は160cm前後
 7.家継135.0cm ※満6歳薨去
 8.吉宗155.5cm ※身長は六尺(約180cm)あったとも伝えられる。
 9.家重151.4cm ※増上寺の遺骨改葬時調査による推定身長は156cm前後
10.家治153.5cm
11.家斉156.6cm
12.家慶153.5cm ※増上寺の遺骨改葬時調査による推定身長は154cm前後
13.家定149.9cm
14.家茂151.6cm ※増上寺の遺骨改葬時調査による推定身長は157cm前後

多宝塔(重文)は天文4年(1535)松平清康公の建立になるもので、初層平面は方形、二層平面は円形となる室町末期の様式を示しています。

多宝塔

寺内の墓地には松平八代の墓所があります。

一番左が家康の墓

この墓所には有名な話があります。
永禄3年(1560年)桶狭間の戦いで総大将義元を失った今川軍は潰走、拠点の大高城で織田方の水野信元の使者からの義元討死の報を聞いた松平元康(徳川家康)は、追手を逃れて手勢18名とともに当寺に逃げ込んだ。しかしついに寺を囲んだ追撃の前に絶望した元康は、先祖の松平八代墓前で自害して果てる決意を固め、第13代住職登誉天室に告げた。しかし登誉は問答の末「厭離穢土 欣求浄土」の教えを説いて諭した。元康は奮起し、教えを書した旗を立て、およそ500人の寺僧とともに奮戦し郎党を退散させた。以来、家康はこの言葉を馬印として掲げるようになる。こうして元康は、今川軍の元での城代山田景隆が打ち捨てて空城となった古巣の岡崎城にたどりついたという。






伊賀八幡宮 <重要文化財>

2016年8月28日 三河巡り2日目最初に参拝しました。

今回は三河の徳川ゆかりの社寺とお城を巡ります。行程は、
  1日目 津島神社⇒西尾城⇒岡崎城⇒六所神社
  2日目 伊賀八幡宮⇒大樹寺⇒滝山寺・滝山東照宮⇒清州城
です。

ホテルから車で10分ほどで到着しました。無料駐車場に止めて参拝ですが、雨が降りそうです。


境内図

文明2年(1470年)、松平氏4代親忠が松平氏の氏神として創建しました。天下人となった徳川家康により社殿の改築が行われ、更に三代将軍家光が社殿を拡張し、祖父家康(東照大権現)を祭神に加えています。江戸時代を通じ、家康の命日である4月17日に将軍の名代として岡崎藩主が代参することが慣習となっていたそうです。
御祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、東照大権現。


まず蓮池の前に石鳥居(重文)があります。

石鳥居


その先に随神門(重文)があります。


正面に拝殿

広い境内

拝殿・幣殿(重文)は寛永13年(1636)三代将軍家光公によって本殿(重文)に増設し、造営されました。
なお同じ年に日光東照宮も改築完工されています。

拝殿

家光好みでしょうか?絢爛豪華!

参拝させていただきました。

随神門から石鳥居

また蓮池にある神橋(石橋:重文)は、寛永13年境内が整備された際に架けられました。

神橋

何だか徳川家が庇護した神社は、どこも派手です。。。あまり神聖な雰囲気が無いかも。。。







2016/08/27

六所神社 <重要文化財>

2016年8月27日 岡崎城の後で参拝しました。

今回は三河の徳川ゆかりの社寺とお城を巡ります。行程は、
  1日目 津島神社⇒西尾城⇒岡崎城⇒六所神社
  2日目 伊賀八幡宮⇒大樹寺⇒滝山寺・滝山東照宮⇒清州城
です。

1日目最後の立ち寄り地です。岡崎城から歩いて20分ほどかかりました。

参道

松平氏(徳川氏)発祥の地である松平郷(現 豊田市松平町付近)の六所神社(現 豊田市坂上町)より三神(猿田彦命・塩土老翁命・事勝国勝長狭命)の祭神の勧請を受けて創建されたものです。徳川家康の産土神として江戸幕府の厚い保護を受けました。

二之鳥居


神域は誰もおらず、涼しい空気が満ちています。

手水舎

急な階段の上に立派な楼門(重文)があります。貞享5年(1688年)の建物です。

楼門

権現造の豪華な門です。



楼門まで来ると、本殿と拝殿が工事中であることに気づきました。


徳川の葵の紋が。。。
ここから参拝

本殿・幣殿・拝殿(重文)は、寛永11年(1634年)から同13年にかけて徳川家光の命を受けて改築されたものです。工事中なのが非常に残念ですが、逆に出来立てを見ることができました。

拝殿


日光東照宮を思わせる豪華な装飾

奥から本殿・幣殿・拝殿

楼門も含めた完成予定は平成29年11月だそうです。
静かでいい神社でした。





津島神社 <重要文化財>

2016年8月27日 織田家ゆかりの神社ということで参拝しました。

今回は三河の徳川ゆかりの社寺とお城を巡ります。行程は、
 1日目 津島神社⇒西尾城⇒岡崎城⇒六所神社
 2日目 伊賀八幡宮⇒大樹寺⇒滝山寺・滝山東照宮⇒清州城
です。

津島神社は徳川ゆかりの神社ではありませんが、三河へ向かう途中であり、中々ここだけ来にくい位置ある為、参拝させていただきました。
大阪から車で約2時間かかりました。今にも雨が降りそうで、非常に蒸し暑い日です。

正面に立派な鳥居があり、その中が駐車場になっています。

津島神社 鳥居

境内図

津島神社は建速須佐之男命(スサノオノミコト)を主祭神とし、大穴牟遅命(大国主)を相殿に祀っています。当社は東海地方を中心に全国に約3千社ある津島神社・天王社の総本社であり、その信仰を津島信仰といわれています。戦国時代には織田信長が氏神としていました。

駐車場の奥には立派な楼門(重文)があります。

楼門

天正19年(1591年)に豊臣秀吉から寄進されたもので、三間一戸、入母屋造、檜皮葺です。


拝殿は切妻造妻入、檜皮葺です。縦長の珍しい拝殿です。

拝殿

本殿(重文)は三間社流造、檜皮葺で、慶長10年(1605年)徳川家康四男で清州城城主松平忠吉公の健康を祈願して、妻政子の方の寄進したそうです。

本殿

回廊には織田氏の家紋と同じ木瓜紋が

本殿前は非常に広い

南門は檜皮葺の四脚門で、慶長3年(1598年)豊臣秀吉の病気平癒の為、子秀頼が寄進したと伝えられている。

南門

社域の周りは信長が寄進したのでしょうか。堀の様になっています。

南門の外

南東角

さすが津島神社の総本社、予想以上に立派な神社でした。

次は西尾城へ向かいます。