2018/04/30

高徳院

2018年4月30日 鎌倉旅行で参拝しました。

横浜・鎌倉旅行の折、鎌倉散策中に建造物は無いですが鎌倉では外せませんね!
江ノ島電鉄長谷駅から歩いて10分ほどで到着しました。

仁王門

さすがに観光地です。世界各地の人々で一杯です。
境内はさほど広くないので、入ると直ぐに大仏様が見えます。


これほど有名な当院ですが、開山、開基は不明だそうです。

阿弥陀如来像(国宝)

像高は約11.39メートル、重量約121トン。角張った平面的な面相、低い肉髻(にっけい、頭髪部の椀状の盛り上がり)、猫背気味の姿勢、体部に比して頭部のプロポーションが大きい点など、鎌倉期に流行した「宋風」の仏像だそうです。




体内巡りがあったので入ってみました。すると大仏様の中に入ることができ、空洞であることが良く分かりました。


参拝後はバスで鎌倉駅に行き、歩いて鶴岡八幡宮に参拝しました。
夕方だったの駆け足での参拝でした。

三之鳥居

テレビでよく見る風景


末社武内社(左の小殿)と上宮本殿(右:重文)


この日の行程は、横浜駅⇒(JR)⇒大船駅。ここで「鎌倉・江ノ島パス」を購入。


大船駅⇒(湘南モノレール)⇒湘南江の島駅 に到着。

湘南モノレール

湘南江の島駅から歩いて江ノ島へ。江ノ島へ渡った所でまずは昼食。名物の「シラス丼 (800円)」をかすんだ富士山を見ながらテラスでいただき、


展望灯台を目指して登り始めましたが凄い混雑!(GWだからかな?)


江島神社のエスカーの乗り場で、「展望灯台は40分待ちです」のアナウンスに登るのを断念。

江島神社

さっさと江ノ島を後にして、娘が見つけたカフェに行くために 江ノ島駅⇒(江ノ島電鉄)⇒七里ヶ浜駅 で下車。




しかしカフェは1時間半待ちだったので諦めて 七里ヶ浜駅⇒(江ノ島電鉄)⇒長谷駅 へ。ここから歩いて高徳院へ向かいました。

鎌倉はまだまだ見るべき寺院が沢山あるので、また行きたいです。





2018/04/20

大報恩寺 <国宝> 2度目

2018年4月20日 平野神社の後で参拝しました。

平野神社から10分ほど歩いて到着しました。


鎌倉時代初期の承久3年(1221年)、求法上人義空によって創建されました。義空は藤原秀衡の孫で比叡山で修行の後、当寺を建立しました。


本堂

本堂(国宝)は入母屋造、檜皮葺。桁行五間、梁行六間で、正面に一間の向拝が設けられています。安貞元年(1227年)の上棟。京都市内では数少ない中世建築で、洛中では最古の建物です。堂正面は五間とも蔀戸を構え、側面は手前の一間を両開戸、次の間を蔀戸、後寄りの四間を引違い戸となっています。平面構成は、方三間の内陣の前方に梁間二間の庇(外陣)を付け、内陣の側面と背面には一間幅の庇が付いています。内陣は中央の方一間を四天柱で囲まれた内々陣とし、ここに須弥壇を設け、本尊釈迦如来像を安置する厨子が置かれています。一般的な密教仏堂の平面と異なり、本尊の周囲を行道できる常行堂系の平面となっています。



参拝後、バスで出町柳まで行きました。



平野神社 <重要文化財>[上七社] 2度目

2018年4月20日 仁和寺の後で参拝しました。

仁和寺から東に歩き、等持院に立ち寄りましたが建物が修復中だったのでパスし、立命館大学の構内を通らせていただき到着しました。


中門は社記によると承応2年(1653年)頃の造営で、桁行四間・梁行一間、唐破風造で、屋根は檜皮葺。唐薬医門の後方に後世の改造で柱間三間分が追加されています。この中門の左右には回廊が接続されています。

中門

拝殿は、社記によると江戸時代前期の慶安3年(1650年)に東福門院(徳川和子)によって寄進されたものといい、「接木の拝殿」の呼称で知られています。桁行二間・梁行一間、入母屋造で、屋根は檜皮葺。四方を吹き放す舞殿形式です。拝殿内部に飾られた「三十六歌仙絵」は平松時量の寄進で、寛文年間(1661年-1672年)関白近衛基煕の書、海北友雪の画だそうです。

幣殿


本殿(重文)は4殿2棟からなり、江戸時代前期の寛永年間(1624年-1644年)の西洞院時慶による再建です。うち第一・第二殿は寛永3年(1626年)の造営で、第三・第四殿は寛永9年(1632年)の造営。春日造檜皮葺の4殿はいずれも東面し、それぞれ今木神(第一殿)、久度神(第二殿)、古開神(第三殿)、比売神(第四殿)が祀られています。第一殿と第二殿、第三殿と第四殿はそれぞれ空殿を挟んで連結する形式を採っており、この平野神社独特の形式は「比翼春日造(ひよくかすがづくり)」、または社名から「平野造(ひらのづくり)」と呼ばれています。






次は千本釈迦堂へ向かいます。





仁和寺 <世界遺産 国宝> 3度目

2018年4月20日に参拝しました。

快晴のとても気持ちのいい暑いぐらいの日です。
嵐電 御室仁和寺駅 から程なく到着しました。

二王門

二王門(重文)は高さは18.7mで重層、入母屋造、本瓦葺。門正面の左右に阿吽の二王像、後面には唐獅子像を安置しています。平安時代の伝統を引く和様の門です。
二王門を入ると広大な境内の参道が続いています。


左手には勅使門があります。大正2年の建築です。


参道を進むと中門(重文)があります。

中門

伽藍中心部に向かう入口ともいえる門で、切妻造・本瓦葺・柱間三間の八脚門です。側面の妻部には二重虹梁蟇股が飾られています。また、向かって左側に西方天、右側に東方天を安置します。

西方天

東方天



中門を超えても、さらに参道が続きます。


そして正面に金堂(国宝)が見えてきます。

金堂

仁和寺の本尊である阿弥陀三尊を安置する御堂で、慶長年間造営の御所 内裏紫宸殿を寛永年間(1624〜43)に移築したものです。現存する最古の紫宸殿であり、当時の宮殿建築を伝える建築物として、国宝に指定されています。堂内は四天王像や梵天像も安置され、壁面には浄土図や観音図などが極彩色で描かれます。


お寺のお堂にしては優雅な造りで、大好きな建物です。


金堂から西に向かうと鐘楼(重文)があります。

鐘楼

入母屋造、本瓦葺。 「鐘楼」の「楼」とは元来二階建ての建物を指します。階上は朱塗で高欄を周囲に廻らせ、下部は袴腰式と呼ばれる袴のような板張りの覆いが特徴的です。


さらに西へ進むと御影堂(重文)があります。


御影堂は弘法大師像、宇多法皇像、仁和寺第2世性信親王像を安置します。慶長年間造営の内裏 清涼殿の一部を賜り、寛永年間に再建されたもので、蔀戸の金具なども清涼殿のものを利用しています。約10m四方の小堂ですが、檜皮葺を用いた外観は、弘法大師が住まう落ち着いた仏堂といえます。

御影堂

檜皮葺は大好きです。見ていると落ち着きます。



次は東に向かいます。
途中、新緑が眩しく爽やかです。


境内の北東には経蔵(重文)があります。

経蔵

寛永〜正保年間の建立で、宝形造、本瓦葺。正面に両開きの板唐戸、左右に花頭窓を付け、禅宗様で統一されます。 内部は釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩など六躯を安置し、壁面には八大菩薩や十六羅漢が描かれます。内部中央には八面体の回転式書架(輪蔵)を設け、各面に96箱、総計768の経箱が備えられており、その中には天海版の『一切経』が収められています。

南に進むと九所明神(重文)があります。

九所明神

仁和寺の伽藍を守る社で、社殿は本殿・左殿・右殿の三棟あり、八幡三神を本殿に、東側の左殿には賀茂上下・日吉・武答・稲荷を、西側の右殿には松尾・平野・小日吉・木野嶋の計九座の明神を祀ります。九所明神の最古の記録は『御室相承記』に、建暦2年(1212年)に境内南にあったものを東に遷宮した事が書かれています。現在の建物は寛永年間に建立されたものです。

さらに南には五重塔(重文)があります。

五重塔

寛永21年(1644年)建立で、塔身32.7m、総高36.18m。東寺の五重塔と同様に、上層から下層にかけて各層の幅にあまり差が見られない姿が特徴的です。初重西側には、大日如来を示す梵字の額が懸けられます。塔内部には大日如来、その周りに無量寿如来など四方仏が安置されます。中央に心柱、心柱を囲むように四本の天柱が塔を支え、その柱や壁面には真言八祖や仏をはじめ、菊花文様などが細部にまで描かれています。



中門を出て、次は御殿を拝観します。

本坊 表門

御殿 入口

宸殿と南庭

宸殿は儀式や式典に使用される御殿の中心建物で、寛永年間に御所から下賜された常御殿がその役割を果たしていましたが、明治20年(1887年)に焼失。現在は大正3年(1914年)竣工されたものです。御所の紫宸殿と同様に檜皮葺、入母屋造。内部は三室からなり、襖絵や壁などの絵は全て原在泉(1849〜1916)の手によるもので、四季の風物をはじめ、牡丹・雁などが見事に描かれています。


南庭

宸殿の北側には北庭が広がります。

北庭



宸殿内部

霊明殿

宸殿

北庭


参拝を終えて、次は平野神社へ向かいます。