2026/07/23

美保神社<重要文化財> 2度目

 2026年7月23日 松江・出雲2泊3日旅行の3日目に参拝し、また約6年ぶりの参拝です。

松江城から約1時間で到着しました。
観光協会の無料駐車場に車を停めて、さあ参拝します。

一之鳥居

えびす神としての商売繁盛の神徳のほか、漁業・海運の神、田の虫除けの神として信仰を集めています。また「鳴り物」の神様として楽器の奉納が多いそうです。


二之鳥居

参道

神門と回廊は昭和3年の造営で、檜材の建築、屋根は杉板の柿葺きです。


神門

神門の注連縄の立派

神門を入ると、正面に拝殿があります。


拝殿は、昭和3年、建築学者伊東忠太の設計監督により造営されました。檜造りで、屋根は杉板を敷きつめた柿葺です。船庫を模した独特な造りで壁がなく、梁がむき出しの上、天井がないのが特徴です。この構造に加え周囲が山に囲まれている為、優れた音響効果をもたらしています。
また、鳴物をお好みになるご祭神への崇敬から年間を通して音楽の奉納も数多く行われます。



拝殿と本殿の周りを時計回りに巡ります。




本殿

本殿<重文>は、向かって右側の「左殿(大御前、おおごぜん)」に三穂津姫命、向かって左側の「右殿(二御前、にのごぜん)」に事代主神をお祀りしています。大社造の二殿の間を「装束の間」でつないだ特殊な形式で、美保造または比翼大社造とよばれており、建築用材の大半は美保関周辺に自生していた松を使用し、屋根は檜皮(ひわだ)で葺いています。



現在の本殿は文化10年(1813)に再建されました。
※神社において左右の概念は、神様を基準としています。したがって、向かって右側が「左殿」、左側が「右殿」となります。



若宮社ほか




宮御前社ほか

回廊


神門




参拝を終え、鳥居近くから延びる青石畳通を散策しました。風情がありましたが、観光客が居ないせいか、開いている店はありませんでした。

青石畳通

美保関から20分ほどで境港に着きました。
ここの山陰のお寿司 ヒトトセ 境港本店さんで山陰のお寿司をいただき、澤井珈琲ラボショップでコーヒーとケーキで一服して、帰路につきました。






2026/07/22

日御碕神社<重要文化財>

 2026年7月22日 松江・出雲2泊3日旅行の2日目に参拝しました。

出雲大社から稲佐の浜に寄って、30分ほどで到着しました。
駐車場に車を停めて参拝します。

日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)は島根県出雲市の日御碕に鎮座する神社です。出雲大社の「祖神(おやがみ)さま」として崇敬を集めています。社殿12棟などが国の重要文化財に指定されています。

鳥居(重文)が、西側の海際と東側境内入口に各1基建てられていますが、東側から入りました。どちらも播州産のみかげ石を使用し、大阪の職人・尼崎九郎左衛門が制作したそうです。徳川家光の寄進だそうです。

鳥居


当社は上下の2社あり、上の宮を神の宮、下の宮を日沈宮(ひしずみのみや、日沉の宮)と称し、2社を総称し日御碕神社(日御碕大神宮)と呼ばれています。

楼門(重文)

楼門を入ると境内が広がります。そして左右に社があります。


両方を門客人社(かどまろうどしゃ)(重文)と呼び、門番の役目をする櫛磐窓神と豊磐窓神が祀られています。、

門客人社(左)

門客人社(右)

右上方に上の宮が見えます。


正面奥は下の宮である日沈宮(ひしずみのみや、日沉の宮)(重文)が鎮座します。
日沉宮の社殿は神の宮と共に、江戸幕府3代将軍・徳川家光の命で、松江藩主・京極忠高により、日光東照宮完成直後の寛永11年(1634年)に造営が始まり、寛永21年(1644年)松平直政の代に完成しました。以降、歴代藩主により崇敬されていました。両宮とも日光東照宮を模した権現造りであり、三猿や龍の彫刻も日光東照宮と瓜二つだそうです。

日沈宮 拝殿

日沉宮 拝殿

  御祭神は天照大御神

日沉宮 本殿


蛭児神社

十九社摂末社は、江戸時代末期に境外で祀られていた摂末社の一部を現在地に遷座してできた神社です。

十九社摂末社

上の宮へ上がってきました。
神の宮(かみのみや)(重文)で参拝させていただきます。

神の宮 拝殿

  御祭神は素盞嗚尊

神の宮 本殿

上の宮から下の宮の様子

上の宮から楼門の様子

参拝を終え、車で数分の出雲日御碕灯台に立ち寄りました。
天気が良すぎるぐらの晴天で、日差しが肌に刺さりました。




綺麗な景色を満喫し、今日の宿泊地である松江しんじ湖温泉ホテル一畑へ向かいました。





出雲大社<国宝>[出雲国一宮] 2度目

 2026年7月22日 松江・出雲2泊3日旅行の2日目に参拝しました。
           前回から17年ぶりの参拝です。

前回は何も分からずに参拝しているので、ほぼ初めての参拝に近いですね。

宿泊していた玉造温泉からほぼ1時間で到着しました。
車を古代出雲歴史博物館の駐車場に停め、参拝に伺います。
ただ、めっちゃ暑いです。


出雲大社(いずもおおやしろ)は島根県出雲市大社町杵築東にある神社です。祭神は大国主大神。式内社(名神大)、出雲国一宮で旧社格は官幣大社です。出雲大社の社紋(神紋)は二重亀甲に剣花菱(にじゅうきっこうにけんはなびし)です。

二之鳥居


二之鳥居をくぐると、参道は下り坂になっています。そしてしばらくして右側に祓社(はらえのやしろ)が祀られています。

祓社

出雲大社に参拝する人々は、まずここで身心を祓い清めることになっています。
御祭神は祓戸四柱の神(はらえどよはしらのかみ)で、瀬織津比咩神(せおりつひめのかみ)、速開都比咩神(はやあきつひめのかみ)、気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)、速佐須良比咩神(はやさすらひめのかみ)です。 神楽殿の前にもお祀りされているそうです。

さらに歩いて素鵞川(そががわ)にかかる祓橋を渡って右側に、可愛いうさぎの像があります。このうさぎ達は、境内のいたる所にいます。


そして、三之鳥居から松の参道が続きます。ここの真ん中は神様の通り道なので歩けません。

三之鳥居


右側には、広々とした芝生広場が広がります。暑すぎて行く気になりませんでしたが。。。


さらに進むと、右側にムスビの御神像があります。

ムスビの御神像

大国主神が両手を上げて幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)から「おかげ」を受け取り、縁結びの大神になったシーンを表しているそうです。


ムスビの御神像の奥(東側)には会所(重文)があります。
1667年の創建で、神職が神事の前に身を清めたり、大名などの特別な参詣者を接待したりする場所として使われていました。また 連歌の催しなどにも使われていたようです。

会所

ムスビの御神像の向かいの手水舎で身を清めて、参道に戻ると銅鳥居があります。

銅鳥居

銅鳥居は、出雲大社の神域の荒垣正門にたちます。
荒垣(あらがき)とは、国宝の御本殿の周囲を最も外側から囲む神聖な垣根(塀)のことです。本殿は内側から「玉垣」「瑞垣(端垣)」「荒垣」の三重の垣根で守られており、荒垣の内側(銅鳥居より内側)が厳かな神域とされています。

この碧銅の鳥居は、寛文六(1666)年六月毛利輝元の孫綱広の寄進になるものです。

銅鳥居をくぐると、正面に拝殿があります。
拝殿は、昭和28年5月に起こった不慮の火のため、荒垣(あらがき)内にあった鑽火殿(さんかでん)・庁舎(ちょうのや)と共に焼亡してしまいました。しかし全国の崇敬者の方々の浄財によって、6年後の昭和34年に戦後の本格的な木造建築として屈指の規模を誇る新拝殿が竣功しました。

拝殿

17年前に来た時は、ここで参拝してそのまま帰ってしましました。
今回は、本殿に更に近い八足門(重文)で参拝します。


八足門の蛙股に施された「瑞獣」や流麗な「流水文」などの彫刻は、左甚五郎の作と伝わります。

八足門

参拝後、反時計回りで瑞垣の周りを散策します。

観祭楼

十九社(東・西)(重文)は、御祭神が八百萬神で、神在祭の間(旧暦10/11~17)、集われた全国各地の神々の宿所となる社です。通常は全国各地の神々の遙拝所となります。

東十九社

釜社(かまのやしろ)は、御祭神が宇迦之魂神(うかのみたまのかみ)で、保食神(うけもちのかみ)ともよばれ、食物全般にわたっての主宰神です。

釜社

瑞垣の内側の様子が少し見えています。

瑞垣と内部の社
写真中央:本殿
本殿の手前:御向社
更に手前:天前社

御本殿(国宝)は、「天下無双の大廈(二つと同じものが無い壮大な神殿)」と称えられ、悠久の歴史の中でその度々の御造営遷宮と御修造遷宮を繰り返し、今にその姿を受け継いできました。
現在の御本殿は延享元年(1744)に御造営されており、昭和27年に国宝に指定されました。

御本殿の高さは8丈(24メートル)にも及び、“大社造”と呼ばれる日本最古の神社建築様式を 今に伝えています。その特徴は切り妻、妻入りの構造で、平面は九本の柱が田の字型に配置された 正方形の間取りとなっています。その中心には心御柱と称する太柱があり、その正面向かって右側の側柱との間は板壁となって殿内が仕切られ、この壁の奥に大国主大神が御鎮座されている御内殿(御神座)があります。従って、御神座は御本殿と同じ南向きではなく、西向きになります。
御内殿の前室には板壁に接して御客座があり、天之常立神・宇麻志阿斯訶備比古遅神・神産巣日神・高御産巣日神・天之御中主神の別天神5柱の神をお祀りしており、 又、中心の柱である心御柱の近くには大国主大神の御子神である和加布都努志命(牛飼神)がお祀りされています。

大神大后神社(御向社)(おおかみおおきさきのかみのやしろ(みむかいのやしろ))(重文)は、御祭神が須勢理比売命(すせりひめのみこと)で、国づくりの大業を輔けられるという大きな功績をたてられ、大国主大神との仲は睦まじく、美しい婦徳の鑑となられた女神です。

神魂伊能知比売神社(天前社)(かみむすびいのちひめのかみのやしろ(あまさきのやしろ))(重文)は、御祭神が蚶貝比売命(きさがいひめのみこと)と蛤貝比売命(うむがいひめのみこと)で、大国主大神が手間山(てまやま)で難に遭われた後、大神の火傷の治療と看護に尽くされた女神です。


一番大きな社殿が本殿です

さらに散策します。

文庫

御本殿の背面


御本殿の背後(北側)にある素鵞社(そがのやしろ)(重文)は、御祭神が素戔嗚尊(すさのおのみこと)で、天照大御神の弟神です。出雲国の肥河上での八岐の大蛇退治はあまりにも有名で、また大国主大神の親神であられ、大神に国づくりの大任を授けられました。

素鵞社



さらに進むと、

彰古館

瑞垣と御本殿ほか

手前から氏社(北)、氏社(南)、西十九社

氏社(北)(うじのやしろ)(重文)は、御祭神が天穂日命(あめのほひのみこと)で
天照大御神の第二子です。出雲國造の始祖であり、大国主大神の祭祀をつかさどられ、その神裔は出雲大社宮司家として連綿と続き今日に至っています。出雲大社教の教祖と仰ぎます。

氏社(南)(うじのやしろ)(重文)は、御祭神が宮向宿禰(みやむきのすくね)で、
天穂日命(あめのほひのみこと)より十七代目の神裔で、允恭天皇の元年はじめて國造出雲臣の姓(かばね)を賜りました。


参拝を終え、荒垣を出て、出雲大社で一番有名なアノ注連縄を見に行きます。

神楽殿

神楽殿は本来、千家國造家(出雲大社宮司家)の大広間として使用されており、「風調館(ふうちょうかん)」と呼ばれていました。明治に入り、出雲大社教が設立されてからは出雲大社教の神殿としても使用され、御祈祷や結婚式をはじめ様々な祭事行事が執り行われています。
昭和56年に出雲大社教が特立100年を迎えた折、現在の神楽殿として規模を拡張して建て替えられました。その大広間は270畳の広さを誇り、神社建築にはめずらしく正面破風の装飾にステンドグラスが使われています。
正面の大注連縄は長さ約13メートル、重さ5.2トンに及びます。この大注連縄は数年に一度、新しい注連縄へと懸け替えられます。
そして、神楽殿前庭には高さ47メートルの国旗掲揚塔が聳え立ち、揚げられる国旗は75畳(タテ8.7メートル・ヨコ13.6メートル)の大きさです。
また、神楽殿後方には出雲大社宮司家の祖先神や天満宮などをお祀りした鎮守社が並び、国旗掲揚塔の南には祓社、金刀比羅宮が並んでお鎮まりです。

前日に付け替えられた大注連縄
(知らずに参拝して後日知った)


駐車場への帰路は、再度同鳥居から拝殿を拝み、参道を戻ります。

拝殿

ご慈愛の御神像

下り参道を戻る

二之鳥居
遠くに白くて巨大な一之鳥居が見えます


車に戻る前に、「手打ち出雲そば きずき」さんで出雲蕎麦を食べました。
人気店のようで、平日にもかかわらず30分ほど待ちました。

車に戻り、灼熱になった車内を冷やしてから、車で稲佐の浜へ向かい、数分で到着しました。目の前に無料駐車場がありました。

稲佐の浜

国譲り神話の舞台でもあり、「伊那佐之小濱」(『古事記』)[2]、「五十田狭の小汀」(『日本書紀』)などの名が見られます。また、稲佐の浜から南へ続く島根半島西部の海岸は「薗の長浜(園の長浜)」と呼ばれ、『出雲国風土記』に記載された「国引き神話」においては、島根半島と佐比売山(三瓶山)とをつなぐ綱であるとされています。

弁天島


次は日御碕神社へ向かいます。


なお翌日、美保神社へ参拝の予定にしています。
出雲大社だけでなく、大国主神の妻である三穂津姫命(みほつひめ)と大国主神の息子事代主神を祀る美保神社にもお参りすることで、一層大きなご利益が得られるとされる「両参り」が昔から江戸時代に盛んに行われています。 出雲大社と美保神社をセットで参拝することは、「えびす・だいこく両参り」となります。


前日からのホテルは、玉造温泉のホテル玉泉さんでした。
夜の島根民謡ショーで、本場の「銭太鼓」や「安来節」が意外と楽しかったです。


また前日は、足立美術館へ行きました。
美術の鑑賞よりも、やはり有名な庭園が圧巻でした。