2014/07/13

櫻井神社 <国宝>

2014年7月13日 用事で泉ヶ丘に来たので、これ幸いと参拝しました。

今回は車です。小雨が降っていましたが、参拝時は止んでくれました。

神門

櫻井神社は堺市南区にある神社で、延喜式神名帳に記載されている和泉国大鳥郡の式内社です。推古天皇5年(597年)に八幡宮を合祀し、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后を奉斎しています。天正5年(1588年)、織田信長の根来攻めのため拝殿以外を焼失しましたが、その後再建されました。

こじんまりした境内

拝殿(国宝)は鎌倉時代の建築で、切妻造、本瓦葺き。寺院建築風の簡素な拝殿です。柱間は桁行(正面)5間、梁間(側面)3間です。神社の拝殿は建築年代の古いものが少なく、この拝殿は鎌倉時代にさかのぼる日本最古のものだそうです。

本殿

馬道

桁行5間のうち中央の間を馬道(めどう、通路の意)となっていて、左右は部屋となっています。このような形式の拝殿を割拝殿といいます。内部は天井を張らず、梁、垂木などの構造材をそのまま見せた「化粧屋根裏」となっています。

馬道内部

馬道左側の部屋内部


本殿

背面の向拝部分は国宝指定外

馬道から神門

途中の道に国宝拝殿の標識はありましたが、何でもない住宅の中に国宝の神社があるなんて、何だか不思議な感じです。





2014/07/12

圓満院門跡 <重要文化財>

2014年7月12日 園城寺の後で参拝しました。

開運そばでとろろそばを食べた後、大津市歴史博物館へ行く予定でしたが、蕎麦屋でここが以前テレビで見た圓満院門跡であることに気づき、予定変更で参拝することにしました。

テレビでは庭園が紹介されていましたが、宸殿(重文)があるようです。

宸殿 玄関

近代的な受付の建物から渡り廊下で宸殿につながっています。
先ほどの玄関は、中からはこんな感じ。

玄関

宸殿は1647年(正保4年)、京都御所の御殿を賜って円満院に移築されました。この宸殿は、徳川秀忠と江姫の娘である徳川和子(東福門院)が後水尾天皇に嫁いだ時(1619年)に造営されたものだそうです。

狩野派の絵師の襖絵(複写)


宸殿の南側にある広大な庭園は、国の名勝及び史跡に指定されていて、室町時代の造園家相阿弥の作と伝えられています。







庭園を堪能し、本堂へ向かいます。

本堂

本堂からやっと寝殿の姿が見れました。どこでもそうですが、書院や宸殿は中々建物全体が見れません。残念です。

宸殿


この後、新羅善神堂に参拝して、JR大津京駅まで歩きました。




園城寺(三井寺) <国宝> 2度目

2014年7月11日 梅雨の晴れ間だったので2度目の参拝の訪れました。
今回は合わせて周辺も散策しました。

JR大津京駅で京阪石山坂本線に乗り換えて、三井寺駅で降りました。そこから琵琶湖疏水沿いに10分程歩いて園城寺に到着しました。

正面に仁王門が見えます

仁王門(重文)は大門とも呼ばれ、入母屋造の楼門で、元は近江の常楽寺(滋賀県湖南市)にあった門を慶長6年(1601年)、徳川家康が寄進したものです。室町時代の宝徳3年(1451年)の建立されたものです。

仁王門

拝観料500円を支払って境内へ。


境内は広く、南にある観音堂は西国三十三所観音霊場第14番札所になっています。

仁王門を過ぎて右手には釈迦堂(重文)があります。天正年間(16世紀末)造営の御所清涼殿を下賜され移築したもので、向拝の唐破風は江戸時代に付けられたようです。、元は食堂として使用されていました。

釈迦堂

仁王門から正面に進むと、階段の上に金堂が見えてきました。


金堂(国宝)は、三井寺の再興を許可した豊臣秀吉の遺志により、北政所が慶長4年(1599年)に再建したもので、入母屋造、檜皮葺きの和様仏堂です。ちょうど2年前に訪れた際、「私が今まで見た金堂の中で一番美しい」とブログに書いていますが、今でもそれは変わりません。

金堂



堂内は内陣と外陣に分かれていて、内陣の周りを一周回れます。通路にはたくさんの仏像が安置されていますが、きっちりお土産物売り場もあり、ちょっと引きました。
参拝を済ませ、正面左側に回ると閼伽井屋(あかいや:重文)があります。

閼伽井屋

慶長5年(1600年)、金堂と同じく北政所によって建立された。堂内には三井寺の名の起こりとなった霊泉が湧出しており、天智、天武、持統天皇が産湯に使われたそうです。

左隅から湧き出している

金堂に鐘楼(重文)があります。「三井の晩鐘」で知られる梵鐘が吊られています。この梵鐘は慶長7年(1602年)の鋳造で、平等院鐘、神護寺鐘と共に日本三名鐘に数えられています。


三井の晩鐘

金堂西の少し高い位置に一切経蔵(重文)があります。室町時代の建築で、毛利輝元の寄進により、慶長7年(1602年)山口市の国清寺の経蔵を移築したものです。二重の屋根の跳ね上がりが優美です。


一切経蔵


堂内には高麗版一切経を納める回転式の八角輪蔵があります。堂内の装飾も華やかであったことがうかがえます。

八角輪蔵

一切経蔵から南に目を向けると三重塔が見えます。


こちらは唐院と呼ばれ、宗祖円珍の廟所ならびに灌頂(密教の儀式)の道場として寺内でも最も重視されている区域だそうです。灌頂堂(重文)、唐門(重文)、大師堂(重文)、長日護摩堂などが建ち並んでいます。

唐院

灌頂堂

三重塔(重文)は、鎌倉時代末期から室町時代初期の建築で、奈良の比曽寺にあった塔を豊臣秀吉が伏見城に移築したあと、慶長6年(1601年)、徳川家康が再度移築させたものです。

三重塔

唐門から灌頂堂

唐門を出ると、短いですが緑豊かな参道になっています。




さらに南に進み、観音堂を目指します。途中緑の中に毘沙門堂(重文)がありました。宝形造の小堂ですが極彩色の装飾が美しく生えます。

毘沙門堂

少々上り坂を登って観音堂に到着。

観音堂

お参りを済ませ堂内から外を見ると、遠くに琵琶湖が見える絶景でした。知らない間に結構登ってきていました。

かすんでいますが遠くに琵琶湖が!

再度金堂に戻り、昼食と圓満院参拝、大津市歴史博物館の後、さらに北にある新羅善神堂(しんらぜんじんどう:国宝)に参拝しました。


園城寺の中心伽藍から北へ500メートルほど離れた場所にある三井寺の鎮守神です。「堂」と名が付いていますが、建築様式的には流造の神社本殿です。現存の建物は貞和3年(1347年)、足利尊氏の寄進によるものです。新羅明神は、唐に留学した円珍が日本へ帰国する際、船中に現れた神とされていて、円珍に伝えられた経法を永遠に守護することを誓った神であるとされています。円珍が請来した経典法具を三井寺に保管することになったのも新羅明神の夢告によるとされています。源頼義が三男の義光をこの神の前で元服させ、義光はそれ以来「新羅三郎」と呼ばれるようになりました。


本殿(塀で囲まれていて綺麗な写真が撮れない!)

どうやら裏から入ってしまったようで、ちゃんと参道がありました。が、その参道もえらく荒れています。これでは国宝が泣きます!!!

荒れた参道 正面に立派な鳥居が。(境内から)

鳥居を出ると御陵が。。。弘文天皇陵のようですが、建物と林に囲まれてひっそりと。。。




昼食は前回同様、圓満院境内にある開運そばでとろろそば(950円)をいただきました。やはりここの蕎麦は美味いです。

とろろそば


次は圓満院門跡を参拝します。


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