広島市内のホテルを出発し、胡町駅から広島電鉄に乗って約1時間で広電宮島口駅に到着しました(270円)。ここからフェリーで約5分で宮島へ(180円)。
天気は曇りで今にも雨が降りそうです。
フェリーからは大鳥居が見えますが、残念ながら修復工事中です。
港からは鹿を見ながら海沿いをのんびり歩くと鳥居が見えてきます。
やはり観光客でいっぱいです。特に外国人が目立ちます。
大鳥居
境内図
厳島神社の御祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)と素盞鳴尊(すさのおのみこと)が高天原(たかまのはら)で剣玉の御誓(うけい)をされた時に御出現になった神々で、御皇室の安泰や国家鎮護、また海上の守護神として古くから崇信を受けられていました。
宮島に御鎮座地を探され、海水の差し引きする現在地を選んで御社殿を建てたのは、推古天皇御即位の年(593年)と伝えられています。
その後安芸守となった平清盛が当社を篤く崇敬し、仁安3年(1168年)に寝殿造の様式を取り入れた御社殿に修造した。清盛の官位が上がるにつれ平家一門のみならず、承安4年(1174年)に、後白河法皇の御幸、治承4年(1180年)3月と9月に高倉上皇の御幸があるなど、多くの皇族・貴族が参詣され、都の文化がもたらされました。
全景(全て国宝で世界遺産)
入口
摂社 客神社 祓殿
摂社 客神社 拝殿
摂社客神社(国宝)は、本社と同様に本殿・幣殿・拝殿・祓殿からなりますが、規模は本社より小さく、細階部分で本社とは異なります。
客神社本殿は、両流造、桁行5間、梁間4間。拝殿は入母屋造、桁行9間、梁間3間で、これらの間を方1間、両下造の幣殿で連結されています。祓殿は入母屋造、妻入で、桁行4間、梁間3間です。
本社
大鳥居
大鳥居(重文)は境内の沖合約200mの地に立っていて、明治8年(1875年)の再建です。棟の高さ16.6メートル、柱間10.9メートルの、大型の木造両部鳥居(各主柱に2本ずつの控柱がつく)です。鳥居は土台の上に自重で立っています。
奈良の春日大社・敦賀の気比神宮の大鳥居とともに「日本三大鳥居」に数えられています。現在のものは平清盛の造営時から8代目と言われており、扁額は有栖川宮熾仁親王の染筆で、沖側は「嚴嶋神社」、神社側は「伊都岐島神社」と書かれているそうです。
客神社
そして本社(国宝)です。
本社の社殿は、奥から手前に本殿・幣殿・拝殿・祓殿の順に並びます。
平舞台から本社祓殿
祓殿
祓殿は拝殿の手前に棟を直交させて建つ入母屋造、妻入の建物で、桁行6間、梁間3間です。全面吹き放し(柱間に壁や建具を入れない)の開放的な建物です。
祓殿内部(平舞台を望む)
本殿と拝殿
本社本殿の屋根は、切妻造の正面・背面の両方を長く伸ばし、その伸ばした部分を庇とした形で、このような屋根形式を「両流造」といいます。本殿の柱間は桁行(間口)が正面8間・背面9間、梁間(奥行)が4間です。構造的には桁行9間、梁間2間の身舎の前後2方向に庇を付けた形になります。本殿の内陣には6基の宝殿を安置しています。6基のうち3基には宗像三女神を祀り、残りの3基には相殿神と呼ばれる神々を併祀しています。
幣殿は本殿・拝殿間をつなぐ廊に屋根を付けた形になり、方1間、両下造(りょうさげづくり)です。。
拝殿は入母屋造、桁行10間、梁間3間で、組物は舟肘木を用いています。
御朱印をいただき、宮島を散策します。
高台に上がると五重塔(重文)があります。応永14年(1407年)の建立。檜皮葺。日本の他の仏塔と同様、建築様式は和様を基調とするが、四隅の軒の強い反り、柱の粽(ちまき)、尾垂木の先端を三角形状に削る点など、細部に禅宗様の要素がみられる。
末社 豊国神社本殿は、明治以降は豊国神社となっているが、もとは大経堂で、豊臣秀吉が天正15年(1587年)に戦没者の供養のために発願した建物です。秀吉が毛利輝元に命じて建立させ、実際の建築の指図は安国寺恵瓊によって行われました。この建物の鬼瓦には天正17年(1589年)の銘を有するものがあり、この頃までには建物の形ができていたと思われますが、その頃、秀吉が朝鮮への出兵を決意したことにより建築工事は中断し、細部の造作は未完成のまま今日に至っています。入母屋造、本瓦葺。柱間は桁行13間(背面は15間)、梁間8間、実長は桁行39.5メートル、梁間21.1メートルの規模を有し、外周には軒の出を支えるため軒支柱をめぐらせています。この建物は規模の大きさから「千畳敷」と通称されますが、床は畳敷ではなく板張です。内部は2間ごとに独立柱が立ち、中央奥に須弥壇を設けています。
豊国神社本殿
港に向かうときには、潮が満ちて海に浮かぶ社殿を見ることができました。

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