天気は薄曇りで4月にしては暑い日です。
昼食を食べて自宅を出発。近鉄当麻寺駅から歩いて15分弱で南大門に到着。文化財には指定されていないようですが、なかなか立派な門です。
南大門
やはりお寺にはお坊さんが似合います
當麻寺は、法号は「禅林寺」。山号は「二上山」。創建時の本尊は弥勒仏(金堂)でしたが、現在信仰の中心となっているのは当麻曼荼羅(本堂)です。宗派は高野山真言宗と浄土宗の並立となっています。聖徳太子の弟・麻呂古王が河内に創建した万法蔵院がはじまりで、白鳳時代に當麻の地に移り、奈良時代に当麻曼荼羅が表され、平安時代には密教文化が栄えました。平安末の焼き討ちによる危機を経た中世以降は、中将姫伝説の広まりとともに曼荼羅信仰の寺として再興し、寺の向きも南面から東面に変わりました。
境内図
南大門を入り、正面に鐘楼があります。この鐘楼に掛けられている(置かれている)梵鐘は国宝で、日本最古と推定されています。
鐘楼
梵鐘(現在は音は聞けない)
境内をさらに進むと正面に本堂(国宝)があります。
寄棟造、本瓦葺。桁行7間、梁間6間。梁行6間のうち、奥の3間を内陣、手前の3間を礼堂とし、内陣は須弥壇(国宝:鎌倉時代)上に高さ約5メートルの厨子(国宝:天平時代)を置き、本尊の当麻曼荼羅(重文:室町時代/天平時代版の写し)を安置しています。本尊が曼荼羅図とは珍しいですが、4m四方の立派な曼荼羅です。
本堂左右(南北)端の桁行1間分は局(小部屋)に分けられ、北側西端の間には織殿観音と通称される十一面観音立像を安置されている。背面北側の桁行3間分には閼伽棚が付属していて、外観はちょっと飛び出した感じになっています。
本堂
曼荼羅(Webから)
本堂正面からは、境内が見渡せます。
境内(左:講堂 右:金堂 中央奥:南大門)
次に金堂(重文)に参拝します。
金堂
鎌倉時代の再建で、入母屋造、本瓦葺。桁行5間、梁間4間。組物は二手先、中備を間斗束としている。内部は土間で、中心の桁行3間、梁間2間を内陣としています。内陣いっぱいに漆喰塗り、亀腹形の仏壇を築いて、本尊の弥勒仏坐像(国宝:日本最古の塑造)、乾漆四天王立像(重文)などが安置されています。小規模でなんだかかわいらしいお堂です。仏壇をはじめ内陣が土間になっているお堂は初めてです。
次は正面にある講堂(重文)です。
講堂
講堂は治承の乱の時、平重衡の軍勢が乱入し兵火にあい、焼失しています。バカ重衡め!
現在の建物は鎌倉時代末期の乾元2年(1303年)の再建で、寄棟造、本瓦葺。桁行7間、梁間4間。組物は平三斗、中備を間斗束としている。堂内は梁行4間のうち中央の2間分に板床を張り、本尊阿弥陀如来坐像(重文)ほか、多くの仏像を安置しています。
金堂裏(前)には石灯籠(重文)があります。日本最古だそうです。
日本最古の石灯籠
境内南西に西塔(国宝)があります。
西塔
三重塔で平安時代初期の建築です。総高(相輪含む)は25.2メートルで、柱間は初重から三重まで3間です。
西塔の東側には東塔(国宝)があります。
東塔
三重塔ですが、こちらは奈良時代末期の建築です。総高(相輪含む)は24.4メートル。初重が通常どおり3間ですが、二重・三重を2間という、日本の社寺建築では柱間を偶数として中央に柱が来るのは異例だそうです。
西塔・東塔共、参拝者はほとんど訪れず、ちょっと寂れた雰囲気になっています。しかし三重塔両塔が現存しているのは當麻寺のみだそうです。
次は奥院の浄土庭園に入りました。ちょうどぼたんが満開で観光客で賑わっていましたが、私は花には興味ありません。
奥院は知恩院の奥の院とされ、近世以降は「当麻奥院」と呼ばれています。
かわいい童子が迎えてくれました
奥院からは東西三重塔が同時に望めます
奥院に入った目的は、慶長9年(1604年)建立の本堂(重文)、慶長17年(1612年)建立の大方丈(重文)、正保4年(1647年)建立の鐘楼門(重文)を見たかったらですが、本堂は工事中。大方丈は拝観できない(通常も?)。鐘楼門のみ見ることができました。
鐘楼門
全体が朱というより真っ赤に塗られた門で、小ぶりですが華麗です。裏側からは新緑に赤が生えます。
鐘楼門(當麻寺本堂側から)
また中之坊には書院(重文)がありますが、次回のお楽しみに取っておきました。
東塔から書院らしき建物が見えます。
中之坊 書院?
また境内の北側にはぽつんと薬師堂(重文)があります。
こちらは、何の説明書きもないのでわかりません。
薬師堂
今回はGW前半で、またぼたんの季節だったせいか境内は混雑していましたが、元々質素なお寺なので、次回はひっそりしている時期に来たいですね。


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