当日は梅雨の晴れ間。前日から計画して休暇をとってきました。
叡山電車の修学院で下車し、まずは曼殊院門跡を目指します。
途中、鷺森神社(さぎもりじんじゃ)という結構立派な神社があります。貞観年間(859-77)創建と伝えられ、もと修学院離宮地にあったのを元禄年間(1688-1704)に現在地に遷座したようです。スサノオノミコトを祀り、修学院、山端地区の産土神です。
長い参道があります
本殿周辺は木々に覆われ、いい雰囲気です。
鷺森神社 拝殿
鷺森神社を出て坂道をしばらく歩くと曼殊院門跡(まんしゅいんもんぜき)の境内に入ります。
曼殊院門跡は、延暦年間(728~806)、宗祖伝教大師最澄により、鎮護国家の道場として比叡の地に創建されたのがはじまりです。
勅使門
北側の通用門から入ります。
北通用門
庫裏玄関
こちらのお寺は、建物より庭園を期待してきました。
大書院からの庭園
大書院(重文)は明暦2年(1656年)の建築で、仏間に本尊阿弥陀如来立像を安置することから「本堂」とも呼ばれています。寄棟造、杮(こけら)葺きの住宅風建物ですが、ここも建物を外から眺めることができません。残念です!
大書院前の庭園
小書院
小書院(重文)は大書院と同時期の建築で寄棟造、杮(こけら)葺きです。間取りは東南側に八畳の「富士の間」、その北に主要室である「黄昏(たそがれ)の間」があります。黄昏の間の床脇の棚は多種類の木材を組み合わせたもので「曼殊院棚」と呼ばれています。
小書院から大書院
小書院から庭園
非常に気持ちのいい庭園です。しばらくここで座って、庭園を眺めていました。小堀遠州作だそうです。
小書院内廊下
平日だったせいもあるでしょうが、曼殊院門跡は期待以上に落ち着く空間でした。
ぜひ紅葉のシーズンにも訪れたいです。
曼殊院を出てちょうどお腹がすいたので、境内の弁天島にある弁天茶屋で湯葉うどんを食べました。京都らしい薄味のだしが上品で非常に美味しかったです。
弁天茶屋の湯葉うどん
昼食後、詩仙堂へ向かう途中で圓光寺に参拝しました。
圓光寺は徳川家康の命により慶長6年(1601年)に足利学校の第9代の庠主(しょうしゅ、学頭)であった閑室元佶を招き伏見城下に本寺を建立したことに始まります。その後、京都御所北辺の相国寺内に移り、さらに寛文7年(1667年)に現在地に移されました。
本堂前の庭園
庭園から本堂
境内の庭は新緑が美しいです。秋になれば紅葉がさぞかし美しいでしょう!
寺内墓地の奥の高台には徳川家康を祀る東照宮があります。
東宮宮
圓光寺を出て詩仙堂へ向かうと八大神社がありました。(後で気づいたのですが、詩仙堂を通り過ぎていました)
八大神社
八大神社は宮本武蔵が一乗寺下り松の決闘の前に立ち寄った所として有名で、ご祭神は、素盞鳴命(すさのうのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)、八王子命です。今から約700年前の永仁2年(1294)に創建されたそうです。
予想以上に立派な拝殿
宮本武蔵像
割とちっちゃい
そしてちょっと引き返して詩仙堂です。これが有名な詩仙堂の玄関です。うっかり気づかず通り過ぎてしまいました。
詩仙堂玄関 小有洞
小有洞という門を入ると京都らしい風景
境内図
詩仙堂は徳川家の家臣であった江戸初期の文人石川丈山が隠居のため造営した山荘が元です。名前の由来は、中国の詩家36人の肖像を掲げた詩仙の間からきています。現在は曹洞宗の寺院でもあり丈山寺といいます。
老梅関
嘯月楼
玄関を入って進むと有名な庭園が見えます。残念ながらサツキは完全に終わっていました。
下の写真は庭園の一部です。縁側を数人の方が陣取っていたので、全体を写せませんでした。
サツキの庭園
庭園正面
庭園側から嘯月楼
今回は詩仙堂を一番の楽しみにしていたのですが、私には曼殊院の方がよかったです。
詩仙堂を出て、山道を登り狸谷山不動院へ向かいます。こちらは清水寺のような舞台があるということで、詩仙堂から近いということもあり行ってみました。ところが結構な山の上にあり、かなりの階段を登るはめになりました。
階段が永遠に。。。続きます
が、辿り着いてみてガッカリ。。。
懸造の本殿
今回巡ったお寺は紅葉で有名ですが、紅葉シーズンは混んでいて大変だろうと新緑の庭園を見に行きました。すいていてゆっくり見れて良かったですが、やはり紅葉がみたいなぁ~!
13800 steps

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