2014/03/02

酬恩庵(一休寺) <重要文化財>

2014年3月2日、参拝しました。

なんと今年初めてのお寺巡りです。
JR学研都市線 京田辺駅 から歩いて20分ほどで到着しました。
午後から晴れるという天気予報を信じて、昼過ぎに訪れましたが、空はどんよりしています。

総門

酬恩庵(しゅうおんあん)は臨済宗大徳寺派の寺院で、山号は霊瑞山。本尊は釈迦如来。一休寺(いっきゅうじ)、薪(たきぎ)の一休寺と呼ばれています。
正応年間(1288 - 1293年)に南浦紹明が開いた妙勝寺が前身で、元弘年間(1331 - 1334年)に兵火にあって衰退していたのを、康正2年(1456年)に一休宗純が草庵を結んで中興し宗祖の遺風を慕い師恩に酬いる意味で酬恩庵と命名しました。その後、一休は文明13年11月21日(1481年12月12日)88歳で亡くなるまでをここで過ごし、臨終の際には「死にとうない」と述べたと伝わります。

永禄3年(1650年)、前田利常が伽藍を再興し、狩野探幽によって描かれた障壁画43面を納め江戸幕府から朱印状が与えられました。

総門を入ると、参道は緩やかな上り坂になっています。

参道

参道突き当り左にある浴室は、残念ながら修復中でした。突き当り右に進むと一休宗純の墓所があります。

一休禅師の墓

一休宗純(一休さん)は、室町時代を生きた臨済宗大徳寺派の禅僧。京都生まれで幼名は千菊丸。後小松天皇あるいは足利義満の血を引くともいわれています。6歳で京都の安国寺に入門し、周建の名前を授かりました。一休の名付け親は大徳寺の高僧、華叟宗曇(かそうそうどん)。一休の「「有ろじより 無ろじへ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」の言葉から、華叟が道号として授けました。その後、さまざまな人生の紆余曲折を経て、1481年、88歳で病没。一休寺で静かに眠っています。

さらに進むと中門があり、そこから庫裏(重文),方丈(方丈)に入ります。

庫裏(左)と方丈(右)

入口は庫裏にあります。庫裏は慶安3年(1650年)、前田家が当寺再建時に新築されました。
庫裏の左には東司(重文)があります。こちらも慶安3年(1650年)、前田家が当寺再建時に新築されました。これは使えませんが、東司の奥には現在の便所がありました。

東司

トイレを済ませて、庫裏から方丈に入ります。方丈(重文)及び玄関(重文)は加賀城主前田利常の寄進により慶安3年(1650年)再建されたもので、内部襖絵は江戸初期の画家狩野探幽斎守信(狩野探幽)の筆によるものです。

方丈

狩野探幽の襖絵と木造一休和尚坐像(重文)

一休禅師が大徳寺の往復に使った輿

方丈周囲の庭園は酬恩庵庭園として国指定名勝となっており、松花堂昭乗、佐川田喜六、石川丈山の合作といわれています。三面よりなる江戸時代の禅院枯山水庭園で、南庭は白砂の大海をあらわしたもの。

南庭


東庭は十六羅漢の様子をあらわしたもの。

東庭

北庭は枯滝落水の様子をあらわした蓬莱庭園。

北庭

方丈を出て本堂(重文)に向かいました。本堂は永享元年(1429年)から嘉吉元年(1441年)にかけて足利義教によって建てられた禅宗様の仏殿です。

本堂

小ぶりですが、禅宗様の特徴である屋根の反りがカッコイイです。


開山堂の前に一休さんの銅像がありました。


一休さんは何処を見てるの?



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