2026/05/12

仁科神明宮<国宝>

 2026年5月12日 信州地方のお城と神社を巡る一人旅の二日目。
           リッチモンドホテル松本から車で1時間弱で到着しました。

県道51号線に案内板がありましたが、後ろの北アルプスが雪をかぶっています。


参道沿いに駐車場があったので、こちらに車を停めて参拝しました。


なお駐車場の手前に一之鳥居がありました。

一之鳥居

仁科神明宮(にしなしんめいぐう)は、長野県大町市大字社字宮本にある神社で、天照大神を奉祀しています。1872年(明治5年)より郷社、1876年(明治9年)より府県社、1893年(明治26年)より県社となります。

参道入口

仁科神明宮はむかし、皇大神宮御領であった仁科 御厨(みくりや)の地に勧請されたお社です。その創始年代は明らかではありませんが、神宮雑例集によると後冷泉天皇の永正年にはじめて信濃に御厨が建立されていた記事が見えるので、この時にはすでに建立されていた事ではないかと考えられます。神宮雑書信濃御厨の記事(建久3年8月註進)にも、麻績、藤長、長田の御厨とともに仁科御厨の名がつらねており、しかも仁科御厨にかぎり、「件御厨往古建立也」と注記してあるので、信濃でも一番古いことが伺われます。
古族仁科氏が御厨に拠り、400年の長い間、終始その神役にしたがい、又神明宮に奉仕して神事をおこたりませんでしたが、天正10年仁科氏が滅びてからは、松本藩主小笠原貞慶が神領として朱印15石を寄進し、以後松本藩主代々の祈願所として、寛永14年からは黒印23石に改められ、かつ又徐地として村内ならびに一之瀬(八坂村) 堀之内(白馬)、借馬、野口(いずれも大町市)等に田畑山林、又青木湖一面等を有し松本藩中最も多くの神領を保って明治維新を迎えました。


手水舎でお清めをして、二之鳥居からお邪魔します。

二之鳥居

参道は大きな木々に覆われています

三之鳥居の先に神門が見えます。


誰もいません。
とても清らかな気持ちになります。

三之鳥居内の境内


神門

神門から参拝させていただきます。奥に見えるのは拝殿です。



本殿周辺の様子

拝殿

拝殿の後ろの社殿が、中門・釣屋・本殿(すべて国宝)が建っています。
国宝社殿のすぐ近くまで行けることに感動し興奮してしまいました。

右から中門・釣屋・本殿

本殿は桁行3間、梁間2間、軒高6.6m、棟木の長さ8.3m余、戸前は中央一戸四方に擬宝珠勾欄を廻らし、左右に特有の棟持柱が立ち、屋根檜皮葺、千木高く棟木の上には巴紋をつけた勝男木6本が置かれた平入の建造物で、内宮式神明造です。
破風板は、そのまま延びて千木となり、破風板にはそれぞれ4本の鞭懸があり、妻には棟持柱があるなど構造手法に古式がうかがわれ、神明造りの原形式を保存している点で、建築史上貴重な遺構だそうです。細部は概ね室町時代の様式を伝えています。

主祭神
  天照大御神

中門

中門(前殿)は単層平入の四脚門で、屋根切妻造・檜皮葺で千木と勝男木とが置かれてあります。柱は円柱で、控柱は八角の礎石の上に立っています。根太貫を通して上に床を張り、更に門柱に唐居敷を切り込み、蹴放を置き、方立を立て、両開きの格子附吹寄舞良戸が吊っています。柱上には冠木を載せ、それと直角に肘木を組み、その上に梁を置いて控柱を連ねてあります。梁の上には前時代に見るような丈の高い美しい曲線をもった板蟇股が置いてあり、更にその上に本殿と同様な美しい舟肘木を組んで棟木を受けています。垂木は疎垂木で小舞を打ち化粧屋根裏となっています。屋根の形式は本殿とほぼ同じですが、勝男木が四本であることと勾配の緩やかであることとが異なっています。

釣屋は、本殿と中門との間をその屋根の中段から両下造にして連ねており、屋根は板葺で棟木を置き、柱を用いてません。垂木は疎で小舞を打ち、化粧屋根裏となっています。釣屋の下に張られてある濱縁は維新前までは拝殿と称され専ら祭事を執り行ったところであって、検校・左近・権頭の所謂三新主のみがここに奉仕し、詞官祝を始め12人の小祝は遥か下の神楽殿に詰めていたそうです。

仮宮かな?

神門



三之鳥居

拝殿

中門・釣屋・本殿

手前は元御神木

神楽殿

神楽殿右側

国宝以外の社殿も、素晴らしい建築ばかりです。


参道右側の末社


参道の帰り道 二之鳥居


参拝を終えて、次は諏訪大社へ向かいます。





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